〜ネガティブなできごとの中にある幸せの種〜
結婚、出産、旦那の転勤で何度も引っ越し…。
「オンナってなんか損してる気がする」
「転勤先の慣れへん土地でワンオペ育児って、大変すぎ!」
「旦那の言うことが腑に落ちひん!」
コロコロ変わる環境の中で、かつての私はそう思っていました。
でも今、振り返ってみると
「過去のできごとは何一つ無駄がなく、今の自分につながっている」。
そう思うんです。
だって、
例えば、今、たくさんの人に愛されている
『お財布ショルダー』も、そもそも「このネガティブな環境の中で、ママがどう効率的に働けるか」を考えたときに、生まれたモノ。
環境に振り回されてヒーヒー言ってた過去のあの体験がなかったら、存在しなかったモノ。
ネガティブなできごとの中には、『幸せの種』が埋められている。
水をあげれば、時期が来たらちゃんと花ひらく。
今だったらそう思えるけど、子育て真っ最中、渦中にいるときは、全然そうは思えなくて…。
だから、もしかしたら私のここまでのストーリーを書くことで
「子育てが大変で!」
「結婚や出産でキャリアが途切れた気がする…」
「社会から取り残された気がする…」
と思っているママたちに、「大丈夫だよ」って伝えられたらいいなと思って、ちょっと長めのプロフィールを書きました。
現在私は
・Lavender sachet(ラベンダーサシェ)のオーナー、デザイナー
・接客講師
・学童保育支援員
という3つの仕事をしています。
でも、はじめからパラレルキャリアや複業を目指していたわけではありません。
目の前にやってきたことに必死で夢中で取り組んで、自然とこうなっていったんです。
いや、「自然と…」というと、ちょっと違うかな(笑)
『学童保育支援員』の仕事に就くときは、実は、けっこう悩みました。
そのころ『Lavender sachet(ラベンダーサシェ)』の仕事もかなり多忙でしたから。
そしてこの仕事をカミングアウトするのも、実は悩みに悩んで…
公に伝えるのは、これが初めてなんです。
私にとっては、学童保育支援員の仕事は、Lavender sachet(ラベンダーサシェ)の仕事と同じくらい大切で、両方とも天職と思って全力投球しています。
でも、ある信頼できる人から、
「学童保育支援員の仕事は黙っていた方がいいよ。お財布ショルダーが売れてないように見えるかもよ」 と言われて。
「そうかなぁ…そうかもなぁ、やっぱり1つの仕事を一生懸命やっている人の方が、プロフェッショナルに見えるよね」
と、自分でも思い、今日までずーーーっと隠していたんです(笑)
でも、黙っているって気が重い。体に悪い。苦しい!
何も悪いことしているわけじゃないのに、なんだか罪悪感が大きくなってきて、苦しくなって、ついに友人にカミングアウトしました。
大罪告白みたいなテンションで・・・
そうしたら、返ってきた答えにビックリ!
「ステキ!何で隠すの??
これからは複業の時代、パラレルキャリアの時代だよ!
お財布ショルダーも、接客講師も、学童支援員も、ヨウコちゃんの『ママと子どもの幸せのために』っていう1つの志に貫かれて、ちゃんと筋が通っていると思うけどなー。
大好きな仕事が3つもあるなんて、すごく幸せなことだよ!」
とあっさり。
いや、そう言われると、「何で私は、あんなにグルグル悩んでいたんだ???」 と、初めて自分の悩みと罪悪感に疑問符が。
そうか!私は勝手に「1つの仕事に一生懸命な人=プロフェッショナル」みたいな価値観で、自分を不自由にしていたんだ。
そして「人からどう思われるか」を気にして、「ほんとうの自分」を見せるのをためらっていたんだ。
そんな気づきがありました。
だから、このプロフィールを書くのは、「正直な自分」「ありのままの自分」を公開することでもあります。
ネガティブな反応が、ちょっと怖いです(笑)
もしよろしければ、『お財布ショルダー』とイシロヨウコのストーリーに、お付き合いください(^_^)
勝手にグルグル悩んでいた十数年のお話です(笑)
ハンドメイドをはじめたきっかけは、子どもの幼稚園入園。入園グッズの制作がきっかけです。
ここでハンドメイドにハマるお母さんって、多いですよねっ。ベタなパターンですが、私もその一人(笑)
別に美大を出ていたわけでもなく、大学の家政科で学んだわけでもありません。
ただなんとなく『手仕事』が好きで、妙なコダワリがあったんです。
入園グッズって、子どもが好きなキャラクター生地で作るお母さんが多いですよね。
でも、このとき私が使ったのは、フランス雑貨屋さんで買った、ちょっとおしゃれなリネンのキッチンクロス。
ここで選んだ布が、この先の私の運命を変えました(笑)
フランスのキッチンクロスで作った体操服袋は、想像以上にステキに仕上がりました!
「生地が違うだけで、こんなにオシャレになるの!?」
その驚きと喜び、感動は、今でも覚えています。
一枚の布が雑貨という形になっていく感動、魔法のような道具『ミシン』への興味。
私のハンドメイド熱は着火しました。
思えば私が子どものころ、身近にあったのは、『職人の音』。
母が内職でやっていたミシン仕事の音、祖父母がやっていた西陣織の織機の音。
今は少なくなりましたが、私が生まれ育った京都では西陣の路地裏を歩くと、「カッシャン、カッシャン」という織機の音があちこちから聞こえていました。
それが少しミシンの音に似ていたから、ミシンが好きになったのかもしれません。
『フィードサック』という布をご存じですか?
Feedsack(フィードサック)というのは、1930年代~1950年代のアメリカで、家畜用の飼料や穀物、小麦粉や砂糖などを入れる布袋として使われていた生地です。
もともとの布袋は無地だったのですが、恐慌時代から「人の気持ちが明るくなるように」 と、花柄、動物柄、幾何学模様をプリントするように。
それがとっても可愛いんです!
(現在は、コレクターズアイテムとして、高値で取引されています)
そのフィードサックに出会って、私のハンドメイド熱はさらに上がります。
高額で小さいサイズしか買えないので、作るのはミニバックのような小さなもの。
「いつか雑貨屋さんになりたいなぁ」と漠然と思っていた私は、「自宅ショップを作って、 フィードサックの雑貨を売ろう!」と一大決心。
「いつか、なんて言ってないで、今の環境でできることをやろう!」
熱病にとりつかれたように準備をして、数ヵ月後には自宅ショップをオープンしていました。
旦那が出張で留守の時だけ、自宅マンションの玄関で開店する方式。
まだスマホなどがない時代でしたが、幼稚園のママ友のクチコミで評判になり、自作のバッグ、化粧ポーチ、ランチョンマットだけでなく、
姉が作ったビーズアクセサリー、自分で仕入れたフレンチテイストのキッチン雑貨まで販売するようになりました。
思えばそのころから、生地を並べて選んでもらう『セミオーダー方式』をやっていました。
旦那から「子どもが小さいうちは、家にいて専業主婦でいてほしい」と言われていたので、 旦那の留守のときに、まずは小さくスタート!
でも、それなのに…。
お店は順調で、1周年記念パーティーも終わり、「さぁ、ますます頑張ろう!」と思った矢先、旦那に『和歌山への転勤』辞令。
和歌山の社宅に引っ越すことになったのです。
社宅では商売はできません。もうガッカリです。
「社宅ではショップはできないし、この先も又いつ転勤になるか分からない」。
そう思い、今後どこへ行っても続けられるように、ネットショップに方向転換することに。
ちょうど「月額1,000円からネットショップが持てる」というサービスが出始めたころでした。
そうはいっても、そのころの私は、HTMLどころか、コピペすら知らない状態で…(^_^;)
独学でコツコツ1年くらいかけてショップを作り、オープンしました。
和歌山に転勤になったとき、「早く新しい土地になじめるように」と、息子は少年野球チー ムに入ることになりました。
旦那が勝手に決めてきた話なのですが、練習の『お茶当番』をするのは母親=私です。
この、母親たちが交代で務める『お茶当番』があまりにも大変で、口先だけで何も手伝わない旦那にイライラ!プンプン!当時は本当に恨めしく思っていました(笑)
野球の練習日は、一日中グラウンドを走り回る日々です。
大きいバッグを持っていたら邪魔になるし、かといって貴重品などを入れたバッグをグラウンドに置きっぱなしにするのも不用心。
「貴重品など、必要最小限のものを入れるポシェットみたいなバッグが欲しいな」 と思って探してみるものの、いいカンジのものがどうしても見つかりません。
そこで、フィードサックを使って自分で作ることに。
実際に少年野球のお茶当番で使ってみて、「使い心地」を試しながら、何度も何度も改良を重ねました。
やがて満足のいくものができたとき、
「もしかしたら私だけじゃなく、他のママたちにも役に立つんじゃない?
そうだったら、うれしい!」
そう思ってネットショップで販売したところ、アップすれば必ず売れるので、『お財布ショルダー』に手応えを感じるようになりました。
できて当たり前、できても誰も評価してくれない。それが主婦業、ワンオペ育児。
一方、仕事ではお客さまに喜んでもらえて、さらにお金までもらえる!
自分の存在を認められた喜びで、ハンドメイドやネットショップの仕事にますます熱が入っていきました。
そしてそんな中、千葉に住む義父が亡くなり、残された義母のために、『私と息子だけが和歌山から千葉へ引っ越す・引っ越さない問題』 勃発!
「長男の嫁なんだから、義父が亡くなったら、嫁が義母と暮らすのが当然」みたいな強烈な圧に、
「なんでそうなるの!?」
と、旦那との価値観、考え方のズレをしみじみ感じ落ち込みました。
環境や家族、親戚の意見に振り回される中、
「自立した生き方をしたい!仕事も、趣味に毛が生えたレベルから、もっと芯が通ったものにしたい!」
と思うように。
そうこうしている内に、今度は愛知に転勤。またまた引っ越しです。
愛知に住んだのは2年ほど。そして次の転勤がまたまた決まり、引っ越し準備中に起きたのが、3.11です。
それをきっかけに、「死の瞬間に後悔がない生き方をしよう!」と決意しました。
そのころの私に勇気を与えてくれたのは、
「他人や過去は変えられないけれど、自分と未来は変えることができる」という言葉。
「相手が変わってくれれば…」とか、「環境が変わってくれれば…」とか、困難なことを誰かのせいにするのは、止めよう!
そう決意して、『お財布ショルダー』の可能性にかけてみることにしました。
次の転勤は、千葉。夫のホームグラウンドです。
千葉に来てからSNSで見かけたオンラインの塾に、「清水の舞台から飛び降りるような気持ち」で飛び込んでみました。
そして、これがひとつの転機に。
なぜなら『お財布ショルダー』のミッションが、ハッキリと形になったからです。
ミッションって、ただモヤッとした形で心の中にあるときと、『言葉』という形になったときでは、まったく力が違います。
『何のためにやっているのか』『誰のためにやっているのか』『なぜ私がやっているのか』、そのことをしっかりと自覚することで、『私しかできない活動』ができてきました。
そしてどんな形で発信すればいいのか、どんなスキルを重ねていけばいいのか、どんな風に活動を広げていけばいいのか、どんなイベントに出展すればいいのかも、具体的に明確になっていったんです。
私の少年野球チームでの「困った!」から始まった『お財布ショルダー』。
そのミッションは、「女性をもっとアクティブに、もっと笑顔に」。
子育てというかけがえのない時間を十分に満喫してほしい。
重い荷物や貴重品を気にすることなく、ママと子どもが公園遊びを楽しめたらいいな。
そんな想いがカタチになったのが、『お財布ショルダー』なんです。
ミッションが明確になると、がぜん仕事にも力が入ります。やりがいも出てきます。
『お財布ショルダー』の人気も上がり、大きな企画やイベントへの出展依頼も来るようになりました。
ですが、その依頼に応えるためには、一人では制作が間に合いません。
実は、『お財布ショルダー』は、1つ制作するのに、7時間もかかってしまうんです。
せっかく声をかけてくださったのだから、ご要望には応えたい。でも、私一人では期日に間に合わない。どうしよう…。
「そうだ!内職さんを探そう!」
内職さん探しをしたり、工場への依頼を検討したり。
いろいろな方法を検討してみて分かったのは、『お財布ショルダー』の制作には、それなりの高い技術がいるということ。
工場から一応見積もりは出たけれど、「このクオリティーは、うちでは出せない」と言われてしまったり、いい内職さんを探すのもなかなか大変でした。
それでも苦労の甲斐があって、良い内職さんが見つかり、『お財布ショルダー』チームは無事スタート。
内職さんに仕事の一部を任せるようになりました。
チームが軌道に乗るまでは大変でしたが、人に作り方を教えることで、作業工程を見直したり、伝わりやすい言い方を考えたりして、仕事がスムーズになるだけでなく、とても勉強になりました。
そしてチームを作ることによって、「人のためなら頑張れる!」ということも学びました。
そして『お財布ショルダー』チームができて、無理なく仕事が回っていくようになってから、もう一つ変化したのは、接客講師の仕事をするようになったこと。
イベントに出展して接客をするようになってから、接客の講座を開催したり、講師として呼ばれて登壇したりするようにもなりました。
実は私、結婚する前の前職は、旅行会社の営業でした。
接客が大好きで、イベントに出展しているときは、隣のブースの作家さんの作品まで売ってしまう人なんです(笑)
接客ってね、『物を売る』ことじゃないんですよ、実は。
「接客というのは、商品という『もの』を通して、目の前の人を幸せにすること」なんです。
人を幸せにする仕事って思うと、なんか力が入っちゃいませんか?
それから接客は育児にも似ているような気がします。
女性は子どもを産みっぱなしにはしませんよね。
子どもを産んだら、世の中で役に立つ人間として社会に出ていけるように育てます。
それと同じように、私たちお財布ショルダーチームの作品も、「大切にしてくださる方の元に届けるまでが仕事」と思っているんです。
だから私にとって、接客も大切な仕事。
制作のためのスキルアップだけでなく、接客のスキルアップもしっかりやっています。
そしてやがてこの接客スキルが、またまた別の仕事、まったく関係なさそうな教育分野の仕事に役立っていくのですが・・・
このときは、そんなことはまったく考えが及ばないことでした。
『お財布ショルダー』は、テレビ、新聞、雑誌で紹介され、イベントでもネットショップでも、どんどん売れるようになっていきました。
そうなってくると、一日のほとんどの時間をミシンの前で過ごすように。特にイベント前は、睡眠時間を削って制作しなければ間に合わない状態でした。
本来、私は人と話すのが好きで、外交的な性格。それなのにミシン仕事で引きこもってしまったために、今思えばあれはプチ鬱(うつ)状態。
家族のちょっとした言動にイラッとしたり、子どもがやりたいことにチャレンジする様子がすごく心配になったり、「本来の自分ではない」気がして落ち込む日が多くなりました。
「あ、これって少し家の外に出た方がいいというサインかも。もっと家族以外の人と話す時間を持った方がいいかも。
『子どもが小さいときは家にいてほしい』という旦那の要望に従って、ほとんどの時間を家で過ごしていたけれど、ふと気がつけば子どもはいつの間にかちゃんと育っている!
今、私を縛り付けているのは、旦那ではなく自分なんだ。
外に出て、視野を広げよう!」
そう決心し、ミシン仕事を調整して、職探しをしてみました。
でも、いざ職探しをしてみると、この年齢ではなかなか希望に合う仕事が見つかりません。
「起業してあんなに頑張ってきたのに、世間的には何にも評価されないんだ!」
そんな風に落ち込んでいる時に、ちきりんさんのマーケット感覚の本を読み、目先を変えて再チャレンジ。
そういえば私、昔から子どもが大好きで、幼稚園の先生になりたかったんだよな~。
そんなことを思い出して申し込んだのが、学童保育支援員のパート。
人と接する仕事は大好きだし、「子どもとママの幸せのために」というのは、学童支援員 も『お財布ショルダー』もいっしょだ!
しかも、子どもたちが下校してからの仕事だから、『お財布ショルダー』の仕事が終わってから出勤できそう。
「私のミッションと学童支援の仕事は重なる!」
そんなわき上がる熱意が通じたのか、ナント!資格もないのに採用決定!!
ほとんど動かない引きこもり生活から、校庭を走り回る日々に変わった当初は、毎日クタクタ。でも今は、『お財布ショルダー』の仕事同様、この仕事も楽しくて楽しくて、仕方ありません。これも天職と思っています。
学童保育支援員の仕事は、子どもに何かを教えるというよりも、むしろ教わることの方が多い仕事です。
特に障害を持つ子どもたちとの関わりは、学び・気づきがたくさんあります。そして個人としての人間力が試されることも多く、起業する中で身につけてきた、目に見えないスキルや努力が、ここで生かされていることを感じます。
例えばイベントでの接客は、子どもを迎えにきたお母さんとの会話にも生かされています。
私はお母さんと話すとき、
「お母さんが幸せな気持ちになったら、笑顔で子どもに接することができる → 子どもも幸せになる」
という風に考えて、
お母さんに何て声をかけようかを考えます。
例えば、お母さんが子どものお迎えに来た時は、 「○○ちゃん、今日、こんなことができるようになったんですよ~」 という報告をすると、ほとんどのお母さんは、ぱぁっと笑顔になります(^_^)
実は、こういう想像力って、接客の仕事で身についたんです。
接客は、商品を通して 目の前にいる人を幸せにすること。
目の前にいる人を幸せにして、その先にいる人も幸せにすること。
そんな自分の仕事の在り方が、まさか学童支援員の仕事にも役立つなんて、『お財布ショルダー』の仕事だけにのめり込んでいたときは、考えもしませんでした。
気がつけば、自分の仕事がすべて「ママと子どもの幸せのために!」という一本の芯で串団子のようにつながっていて、「人生って無駄がない!」と気付きました。
今でこそ旦那も私の仕事を応援してくれていますが、決して初めからそうだったわけではなくて、何度もぶつかりました。
数々の転勤も、大変だった少年野球のお茶当番も、旦那とのいろいろも、渦中の時はネガティブにどっぷりつかっていたけれど
それがなかったら、今の幸せはなかったと思います、確実に。
大変なお茶当番の経験から生まれた『お財布ショルダー』は、今日までの私をほんとうによく助けてくれました。
お財布ショルダーを通して知り合った、お客様、内職さんをはじめ、たくさんの方々に助けられて、ここまでやってこられたし、
『お財布ショルダー』自体が持つ力にも助けられました。
『お財布ショルダー』って、実は『思考を整理し、応援する道具』なんです。
そのことに気づいたのは、割と最近になってです。
「大切なものだけをここに入れる」。
そう思って『お財布ショルダー』を使い続けると、『大切なもの』を見極める習慣がついてきます。
私は、大きなバッグにあれもこれも入れていたころに比べると、「何が大切で」、「何が大切じゃないか」が、ハッキリと分かるようになりました。
もちろんグルグル悩むこともあるけれど、最終的にベストな選択ができるんです。
そのことに気がついてから、ますますさらに『お財布ショルダー』が好きになりました。
もっともっと沢山の人に使ってもらいたいし、子育て中のママが家でできる仕事として、スタッフも雇用して育てていきたい。
販売、営業、接客、学童支援の仕事も、欲張りだけど全部やっていきたい!
世間の価値観に合わせて「人にどう思われるか」を気にするより、自分の思うとおりに未来を選びとりたい。
女性は確かに、結婚、出産、育児、受験、介護など、自分以外の家族のことに振り回されることが多いです。
でも、そのとき悩んだことは決して無駄にはならなくて、やがて開く花の栄養になります。
私はこれからも、「ママと子どもの笑顔」を応援し続けます。
イシロヨウコ
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前原 睦子 (金曜日, 28 2月 2020 16:15)
私は今も旅行会社で営業をしています。娘が生まれる前の20年前は法人、今はカウンターで個人の店頭営業をしています。
一緒に人生を歩んだ感覚のステキなブログでした。ありがとうごさいました。
やまもとなお (金曜日, 28 2月 2020 17:49)
イシロさんー!共感の嵐でした泣 ご講演で聞かせていただいた内容に加えて、一層深みのあるイシロさんのステキな一面を知ることができて感動です!私もいつかこんな風に語れるように、今という時間を大切にしたいです^ ^ HUGsent 山本
林 美華 (金曜日, 28 2月 2020 20:11)
あぁ!あの時井代さんから聞いた話がバージョンアップしている…!!学童のお仕事のことをカミングアウトされたのを拝見して、やはりいろんな方に意見を聞くというのはとても大切なんだということに気付かされました!そして、ますますお財布ショルダーと井代さんのことが好きになりました!女性起業塾のことも折に触れ出してくださり感謝です♡私も制作続きで心が疲弊してきていることを感じています。。仕事の見直し、ライフスタイルの見直しをする必要が出てきているなと思いました。貴重なお話をありがとうございました!
イシロヨウコ (土曜日, 29 2月 2020 12:46)
前原さま
読んでくださり、コメントまで、ありがとうございます!
旅行会社は夢を売る仕事。あの頃も楽しかったし、今の仕事も楽しいです^^
「一緒に人生を歩んだ感覚のステキなブログでした」・・・う、嬉しいです。勇気を振り絞ってカミングアウトしてよかったです。
ご縁に感謝申し上げます^^
イシロヨウコ (土曜日, 29 2月 2020 12:49)
やまもとなお様
お忙しい中、長文を読んでくださりありがとうございます!
色々あったし、これからも色々あると思いますが、転勤経験やお財布ショルダーが、私を強くしてくれました^^
やまもとさんの子ども服に込めた想いもステキなので、どんどん発信してくださいネ
ご縁に感謝申し上げます。
イシロヨウコ (土曜日, 29 2月 2020 12:55)
林 美華さま
みかりんさん、読んでくださりありがとうございます!やっとやっとカミングアウトできました!!
いろんな経験があったからこそ、みかりんさんと繋がることができて、本当に人生に無駄はない^^
売れっ子はツライですが、自分が倒れては元も子もないので、そこは例のシャンパンタワーの法則で。
熱い想いでお仕事をされているみかりんさんと、また語り合いたいです!
ご縁に感謝申し上げます。